(CX5)
ついに山吹の里へと到着。
今日はお酒飲んでないので誤字脱字が少ないかも。
そんなことは置いておいて、今日はここでお祭りがある。
東山道古代祭りだってさ。
お祭りと言っても近所の人の寄合みたいな感じだった。
なにせ観光で来たのは私だけだった。
そして山吹の里に来た時に、上毛新聞の記者と間違われる。
どう見てもチャリダーで記者じゃないと思うのだが・・・・
山吹の里の開花状況はこんな感じだ。
この写真は盛ってます。
少し寂しい咲き方だった。
ここの山吹は「一重」の花弁の山吹で、咲き方がゴージャスじゃない。
「八重山吹」の方が花が綺麗だと思う。
また話を東山道古代祭りに戻すけど、このお祭りは663年百済と中国、新羅が戦争をした。
百済軍は破れ百済は滅亡する。
すると九州の防衛が手薄になり日本が侵略されてしまう。
そこで本州東から徴兵したそうだ。
その徴兵軍の事を「防人」と呼んだ。
この徴兵は色々な意味で、とても過酷で徴兵された民間兵の66パーセントが帰らぬ人なった。
ここ横川からも出兵したそうだ。
この地層観察所にはここに古代から人が住んでいた証を観察することが出来る。
またこれが面白い。
浅間山が大噴火を起こした証が残っているんだ。
観察所の一番下には1mほどの火山礫の層がある。
この大噴火後には作物が育つわけも無く、この土地から人は去って行った。
そして自然と黒土が戻るころに人も戻ってきた。
この写真の中間に40㎝ほどの火山礫の層がある。
この時の大噴火では、人は土を入れ替え田畑を耕した跡がある。
今はすっかり黒土で、この辺りじゃあ火山礫なんてほとんど判らない。
苦労したんだろうなあ。
古い歴史が刻まれた土地なんだなあと思ってみたりするわけで。
大体街中だと、新しい歴史に上書きされて古い歴史は希薄だ。
街中で工事中に土器とか出土したって、なかったことにするみたいだ。
業者にしてみれば工事がを止める訳にはいかないからね。
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