クロモリのダイヤモンドフレームに3枚のチェーンリング。
リヤのスプロケットは腐ってて判らなかったがステムにハンドルバー、ブレーキグリップは全てアルミ製。
サドルは皮製だしちょっと只者ではない、腐ってるけど。
それからチェーンリングがぜんぜん腐ってないけど材質が判らなかった。
どこのメーカーか調べれば(写真を撮っておけば)良かったのに、詰めが甘くて気になる。
古い土地なので祠と墓石には不自由しない。
この鳥居の前にある墓石群は風化していて文字の判別も困難なものばかり。
それでもそれなりに手入れが行き届いている。
コントラストを上げると文字が浮かび上がってくる。
天文4年だろうか。
そのほかの文字は良く判らない。
石拓を取れば判るのだろうが。
天文4年(1739年)は5万人が参加した藩政史上最大規模の百姓一揆があった年。
ロシア帝国海軍の探検船が日本の仙台湾・房総半島などに来航(元文の黒船)した。
墓石の表面が風化してざらざらだ。
こっちの人は宝暦12年(1762年)没。
宝暦12年は德川 宗春尾張藩第7代藩主も亡くなっている。
この藩主かなり豪快な人だったみたいで開放政策を積極的推進した。
倹約を緩たり行過ぎた規制を廃止したりした。
吉宗の倹約経済政策に自由経済政策理論で立ち向かったのは、江戸時代の藩主では宗春だけ。
また、死刑反対論者だったみたいで宗春が藩主だった間は一度も死刑を行わなかったそうだ。
ただちょっとやりすぎたみたいで、この楽天的な政策はだんだんうまくいかなくなって財政赤字を出した。
その赤字を民衆に転嫁したことによって宗春の人気はなくなっていった。
今の日本人はおとなしいよねこれだけ政治のつけを国民に擦り付けているのに

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