(CX5)
足尾一の賑わい赤尾。
1885年18戸80人
1877年足尾再開発商店街が形成されるが、1887年大火で消失。
しかし1907年には完全再興。
140軒の大商店街になる。
しかし、しかし同年に抗夫の大暴動で80件もの社宅が消失。
銅山としての機能はこの頃に通洞に移行した。
それとともに足尾北の商店街は衰退した。
それでも足尾町全体の人口は1916年に38428人まで膨れ上がる。
ここ北部も社宅300棟と大きな集落を形成する。
そして閉山と共に現在の形に落ち着いていく。
鉱山の町と言う特殊で単純な環境がその歴史を判り易くしているのじゃないだろうか。
なんだか住んでいた人たちの息吹が感じられる歴史だなあ。
これは明治時代に作られた古川橋。
古川橋は以前の木製の橋が消失したために架け替えられた。
本山坑道に向かう橋。
当時は多くの坑夫がこの橋を渡ったのだろうなあ。
当時の抗夫と同じく橋を渡り本山方面へ走る。
ガイドと照らし合わせると、「本山医局跡」と「本山動力」と「コンプレッサー」と「本山坑口」がある。
だけど看板とか何もないのでどの建物がどれか見当がつかない。
しかし送電線があるので「本山動力」じゃないだろうか。
この先に多分だけど「本山坑口」があると思われる、が工事中で行き止まり。
残念!!
踵を返す足で少し鉱山施設を覗く。
もっともここからでは何も見えないのだが。
一体全体この先に何があるのか気になる。
精錬所は会社が存続しているし、まだ作業をしている。
建造物も廃墟とは言えない状態だ。
この建物なんか窓枠がアルミサッシに換装されている。
レトロな外観で良い建物だ。
精錬所の大煙突には火が入っていはいない。
煙が出ていないからね。
ズームしてみるとこの煙突結構老朽化が進んでいるみたいだ。
表面のコンクリートが剥がれている。
この煙突の近くにはこんな入り口や、
こんな入り口が開いている。
これは坑道の入り口なのだろうか?
ずっと坑道口が無いか探しながら移動しているんだけどね。
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