(CX5)
トロッコ列車は途中にある駅までまでアプト式の牽引車が使われる。
初めてアプト式の列車を見た。
歩いた方が速いような距離なんだけどね。
その駅から坑道まではすぐで、坑道内に入ってすぐに到着する。
個の入り口が通洞抗だ。
この坑道は閉山まで使われた坑道で時代により坑道口の場所は変わっていった。
肝心の鉱脈なんだが鉱脈の厚みは1㎝ほどだそうだ。
それが広がっている。
鉱脈を追って上下左右に掘り進めた。
鉱脈を探すのは結構運の要素があるみたいで、江戸時代に数十メーター掘り進んで諦めた坑道を後に数メータ掘り進んだ所で鉱脈を掘り当てたりしている。
そして何故足尾銅山は閉山されたのか。
まず銅の需要が減った。
次に輸入品に価格の面で対抗できなくなったから。
なんて事を足尾銅山観光の人に聞いた。
年配の人だったのでもしかしたら足尾銅山で働いていたのかも。
聞いて見れば良かったなあ。
足尾銅山観光の出口には土産屋と食堂が入った建物を通って外に出る。
土産屋は銅製品とか石とか売っている所が特徴かな。
まあ後は普通だ。
ちなみに銅製品は高い。
洗面器なんて一万円以上する。
写真は今はやっていない大食堂。
大食堂じゃない食堂は3軒ほどあって、そこはやっている。
私は通洞駅に近いこちらが気になったので、こちらで昼食だ。
つくね定食を注文。
つくねには山椒が練りこんであって、なかなか爽やかな風味だ。
私的には塩が少し弱い感じだった。
それから付け合わせのサラダにかけるドレッシングは最初ごまだれだと思っていた。
しかしこれが山椒ドレッシング。
沢山かけすぎて舌がしびれたよ。
あとコーヒがポットに入って無料、ちゃんとしたコーヒで美味しかった。
お客さんも多くて流行っていた。
さすがさんしょう家を名乗るだけのことはある。
メニューはこんな感じ。
これで足尾編は終わりだ。
ここには書いていないが、銅山で捕虜を強制労働させていた歴史もある。
危険で過酷な労働環境だったのだろう。
足尾について分った事++++++++++++++++++++++++++++
江戸時代以前はごくありふれた山村だった。
江戸時代に偶然一人の男が銅鉱脈を発見した。
鉱山ラッシュで爆発的に人口が増加した。
人口が増加して様々なお店が出来た、中には賭博場や色町もあったらしい。
この頃日本の主要通貨である寛永通宝がここで製造された。
しかし江戸時代末期銅の産出量は劇的に落ち込む。
鉱山の存続も危ぶまれた中、明治に新しい鉱脈を発見し産出量が増加する。
銅山は明治、大正、昭和と採掘された。
近代化に連れて機械化が進み産出量が増大した。
すると公害が深刻化する。
火事の多発もあり辺りの山は禿山となり、渡良瀬川から魚がいなくなった。
また、戦時中は捕虜収容所がつくられ鉱山で捕虜は強制労働させられた。
過酷な労働環境は抗夫の暴動も引き起こした。
何棟もの社宅が焼き討ちにあった事件もあったらしい。
政府は深刻化した公害を解消すべく、古川機械金属へ依頼。
日本の公害対策技術が大きく進展した。
しかし銅の使用量が減少、輸入品との価格差等の事情により採算が合わなくなる。
1973年足尾銅山は閉山され、363年に及ぶ銅山の歴史に幕が降りる。
現在は公害除害設備を一部利用して産業廃棄物の処理事業などを行っている。
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私がここまで知って思ったこと。
「鉱山では絶対働きたくない」
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